HOME   »   ★TIPS  »  Japanese Goes To Hollywood -1- 曽原三友紀
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監督・女優 曽原三友紀

宮崎県生まれ。子どものころから劇団四季に憧れ、バレエに熱中するが、高校のとき、ひざを手術し断念。
富山テレビのアナウンサー、FM Fujiのパーソナリティを経て、結婚を機にNYへ。NYでは、『Dancing with the Stars』(ABC)のプロダンサー、クリスチャン・ペリーとペアで米イーストコースト地区のプロアマ大会で優勝。
競技ダンサーとして活躍するかたわら、NY、ニュージャージーでダンス教室も開催、フリーアナウンサーとしても活動。離婚後、ロサンゼルスへ。このころから日本舞踊を習い始め、芸者の世界にも興味をもつ。

出演作品は、TVドラマの『エイリアス』(02)、『Strong Medicine』(00~)、映画では『ラストサムライ』(03)など。アナウンサーではLAドジャース情報番組のホストリポーターなど。
ドキュメンタリー映画『はんなり』で監督業にも進出。次回作はダンスをテーマに考えているという。
現在、家族はエアロスペースエンジニアで『はんなり』の映画プロデューサーの夫との間に一男一女。





元アナウンサーで、社交ダンスの米東海岸チャンピオンという経歴の持ち主、 曽原三友紀。
NYでの結婚生活に終止符を打った後、心機一転、LAに住まいを移し、女優業に本腰を入れ始めた。
近ごろの日本ブームで、映画やテレビ出演のチャンスも増えていたが、まわってくるのはやはり“ゲイシャ”役。役作りのために京都で京舞を習うほど入り込んだが、研究熱心な曽原がガマンならなかったのは、お風呂につかっている主役の肩をもんだりするような、ハリウッドにあるゲイシャの間違ったイメージ。

「絶対そんなことないのに…」、嘆くだけなら誰にでもできた。
そこから一歩飛び出すため、女優から転身、監督・曽原三友紀の誕生だ。


メジャーデビューは『エイリアス』


曽原の最初のメジャー出演作品となったのは、TVドラマの『エイリアス』(02)。ジェニファー・ガーナー演じるシドニーが、芸者に扮して敵陣に入り込むというシーン、そこに同じ芸者役で登場していたのが曽原。

「最初、写真だけでオーディションが決まりました。そのころ、すごーく変な芸者の写真を撮っていたんですけど、とりあえず(その写真で)着物を着てかつらをかぶっていたから(笑)。
キャストの人が見て『芸者だったら、この子!』と思っちゃうみたい。写真は重要ですよね」。

その後のオーディションでは、着物持参、審査員の前で自分で着物を着るというオーディションが行われ、審査にパス、出演が決定。
「不思議なオーディションでしょう?」と曽原は言う。

芸者役のオーディションは、写真や着付けができることだけで決まることもあれば、3回呼び出されても最後に落とされることもあるそうだ。
社交ダンスのダンサーとして出演を熱望していた日本映画の米リメイク『シャル・ウィ・ダンス』では、チャンピオンという肩書きがあったにもかかわらず、オーディションにさえ、声がかかることはなかった。

「私、芸者以外だったらこれしかないと思って、オーディションに書類を出したんです。けれど向こうがアジア人を求めてないので、コールもされなかった。タイプキャストだから。オーディション用の写真を見て、まず写真で選ばれる。日本人だからっていうよりも、人種や年齢とかキャラクターとか、そういうのもありますね」。

制作側が、始めからこういう人をこの役に当てはめようと、該当する俳優を選んでいくのがタイプキャスト。


インテリジェンス、そして自信が求められるオーディション


曽原が必ず呼ばれるオーディションとは?

「いわゆる若い子の役じゃなくて(笑)、私くらいの年齢(30代)だと、芸者さん、お母さん、または弁護士かお医者さんみたいな役ばっかりなんですよ。若い子の役だと、スタイルがいいと決まったりすることがあるんですけど、いわゆる弁護士さんとかお医者さんの役というのは、すごく頭がよいように見えないといけない。インテリジェンスな英語をしゃべれないといけないんです。

たとえ完ぺきに台詞が覚えられたとしても、(オーディションで)よくアドリブもさせられるんですね。日本語だったら絶対できるという自信はあるのに、すごくインテリジェンスな会話を常日頃から英語でやってないと、かなりこれはしんどいと思いました。それにこの手のオーディションには本物のお医者さんや弁護士さんもオーディションに来ていたりするんですよ。本物にかなうわけないですよね。英語でオーディションのときは、いつも私、そういう役ばっかりなんです。日本人って見ていないんですね。アメリカ人として見ているから、絶対アクセントがあるとダメです。だから日本語か、アクセントOKっていうオーディションじゃないと、しんどいですね」。
Photo

英語に日本人アクセントが少しでもあると、いわゆるアジア系アメリカ人の役は難しい。けれど、日本人役だから日本人が有利か、というわけでもないらしい。

「アジア人のアクターとしてやるには、ということを教えてくれたのはイースト・ウェスト・プレーヤーズ(全米のアジア系俳優による演劇集団)でした。
有名な俳優さんがおっしゃるには、『僕は日系人だけど、日本語がしゃべれない。でも日本人らしい振る舞いをして、日本語をしゃべっている“ふり”を自信をもってやると採用される』って。いわゆるステレオタイプ。日本人にとっては寂しいことです。
結局、監督に英語で指示された通りに、彼らが思うアジア人っぽくできればOKだから、そんなに日本人にこだわらなくていいと。いかに監督の思っているイメージに合わせられるかというのもありますよね」。

こちらの俳優はアピール上手、とも曽原は言う。

「こっちの俳優さんて、自分が踊りをやったことなくて、着物を着たことがなくても、I can do it.って言うの。できなくても、タイプでキャストされて、決まってからやるんですよ。正直ハッタリの人も多い。とにかくアピールして、自信をもってオーディションを受けるのが上手なんですよね。その辺りをがんばれると、多分日本人の人ももっとハリウッドでいけるのかな??と思う」


『ラストサムライ』と『SAYURI』の間に横たわるもの

日本まがいはびこるハリウッドだが、本格的に日本文化をリスペクトして、再現しようとした作品もある。曽原も出演した『ラストサムライ』は、そんな稀な作品だ。しかし、女優の役はほとんどなく、曽原も芸者役でオーディションを受けた。

「『ラストサムライ』のときは、スッピンでオーディションに来てくださいと言われました。またそのとき、芸者姿の写真をもっていったんです。そしたらすぐ決まりました(笑)、必需品。スッピンで日本人に見える人というのが条件でしたね。この映画の場合、メイクをあんまり濃くしなかったんですよ。芸者でも白塗りでなく白いパウダーしかしなかったんです。とにかく色が白い人を探していた。芸者で踊れるとか関係ないんです。その当時の写真の芸妓さんに顔が似てて、色が白いというのが条件でした。当時カルフォルニアで地肌が白かったのは得をしました」。

芸者役の曽原は数シーンに出演したが、一番印象的なのは、最初にトム・クルーズが日本に降り立ったシーン。曽原も籠に乗って登場している。トムは、昔から自分の映画に芸者を出すのが夢だったというから、このシーンが非常に印象深かったらしい。これは監督のエドワード・ズウィックも同じこと。

「(完成後のパーティーで)ズウィックさんは、私が洋服を着ていたので同一人物と気づかなかったみたいで、『あなたの名前は?』と聞かれました。『芸者の役をやったみゆきです』と言ったら、『籠に乗ってくれた人!』って(笑)、すごく印象的だったみたい。実際に、撮影のときもズウィックさんが3回くらい私に『アーユーOK?』とわざわざ聞きにきてくれたから。撮ったシーンは全部(カットせずに)入れてくれて、プラス、ビハインド ザ・シーンを見ると必ず芸者がいる。本編よりたくさん登場しているかも…(笑)」。

曽原はパーティーのオーディションで自分の着物を担当者に見せたことがきっかけで、『ラストサムライ』のPRのために数回開かれたパーティーで、祝舞を披露する以外にも貸衣装やメイクなどのコーディネーションまで行うことになった。
曽原がLAで活躍するにあたり、大きなステップとなった1本だが、続く『SAYURI』では残念な思いをすることになる。

「舞の先生役で決まっていましたが、出演をお断りしました。他にも制作関係の場面でのコーディネートの依頼もありましたが、プロデューサーや監督さんの作品の方向性や脚本など、ちゃんとしてなかったら伝統を守っておられる祇園町にご紹介できないですし、私のポリシーにも合わないのでこれはやめておこうと」。 女優としてハリウッドでオーディションを受けるにあたり、芸者の描写がとにかく“奇妙”と感じていた。

「お風呂に入っている主役の人の肩をもんだりとか、頭はカツラなのに、衣裳は着物じゃなくてバスローブだったりするんですよ。本物の芸者さん方はそういうことをする方々ではないから。私は自分の役柄のために、東京や京都に行っていろいろと学んでいましたので、プロダクション関係者から芸者さん芸妓さん舞妓さんのことについて教えてくれって、一応聞いてはくれるんですけど、最終的に『うちのプロダクションとしては、きみのいっていることが英語で作品になっていたり、本で出版されてないと、最終決定の資料として、上に上げられない』って言われて、結局は自分たちの思う創造の世界の芸者像に作り上げたいようですね」。


本当の芸者の世界を知ってもらうために

ハリウッドでは、俳優もプロダクション会社を作り、制作に踏み込むのはめずらしいことではない。それぞれがポリシーを、考えあって制作に取り組むのだ。
作品の内容によっては、ボディガードを雇ってまで命がけで制作している人もいるという。

そんな中で曽原自身も「日本以外にも、世界中のみなさんに芸妓さん、舞妓さんを通して日本文化の素晴らしさを知っていただきたい…」。
英語ドキュメンタリー映画『はんなり』制作を決めたのもこんな理由からだ。

しかし、京都の祗園町は“いちげんさんお断り”。「(祗園町で)お稽古取るのも最初なかなか許可が出ずに、ずーっと見学だけ行っていたんですよ。そしたら、ロスからわざわざ来て観光にも行かずに、毎日お稽古場に通って、正座で何時間も座って見学している姿を見て、お師匠さんが、この子は本当にやりたいんだなと理解してくださって。でも、数年後映画を撮ると言ったときはちょっと反対されました。なぜなら、当初私は映画を撮るためにここにお稽古に通っていたのではなかったので…」。 こうして信頼を得た曽原、最初から入っていけないのは、お座敷も映画撮影も同じことだった。

女優・曽原三友紀から、監督・曽原三友紀へ。リサーチから撮影、ポストプロダクション、トータルで約5年をかけ、映画『はんなり』は完成した。

「外国人の方は、やっぱり『SAYURI』のイメージが非常に大きくて、ある白人の方は『日本人が作った芸者のドキュメンタリーがあるから見に行こう』と言ったら、『なんで“そんな女性”の映画なんて見に行くの?』と友人に言われたらしいんです。その方は、『私は芸者はアーティストだと思っていたから、あなたの映画を見て確信できた。今度友達に自信をもって紹介するわ』って言われて、翌日には白人の友人グループで映画を観に来てくれました。すごくうれしかったですね」。

日本では、六本木ヒルズで日本に赴任中の25カ国の大使夫妻などを招いて上映会を開催。この春には、国連の映画祭「インターナショナル・フィルム・フェスティバル」でも上映されたばかり。この映画祭では、日本の作品は、過去に『たそがれ清兵衛』が招かれたきりである。

「やっぱり外国人の日本のイメージは今でもサムライとゲイシャなんですよね」と曽原は微笑んだ。

「サムライ映画は日本男性の凛々しさや精神の素晴らしさが表現されておりますし、芸舞妓さんは日本の伝統文化と日本女性の素晴らしさが集結しているでしょう。ただね、『はんなり』を見て、現代社会で芸妓さんの通りにしましょうよというのは難しいこと。特殊な世界だから、すごく。でも昔から続く日本女性のよいところを今でも残しておられるので真似できるところは、今の生活に取り入れたりできると素敵だなと思うんです」。


取材・文/橋本裕美子
構成/海外ドラマNAVI編集部
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